チョイスと飛行機の重要性

フューチャリスト宣言を読んでいる中で下記のような件がありました。

いままでの教育というのは、学校で学ぶように定められた内容について、100点をとれるように向けてあげることでした。そうでなくて、いまは学びうる範囲が無限に広がったから、選択することこそ教えなければならない。(茂木)
フューチャリスト宣言

無限に広がった情報の中で、自分の進むべき道を見つける能力が今よりさらに必要になってくるだろうという中でのコメントです。これを読んで思い出したのが「思考の整理学」の1章に書かれていた下記の件です。

学校はグライダー人間の訓練所である。飛行機人間は作らない。グライダーの練習に、エンジンのついた飛行機などがまじっていては迷惑する。危険だ。学校では、ひっぱられるままに、どこへでもついて行く従順さが尊重される。勝手に飛び上がったりするのは規律違反。

–中略–

指導者がいて、目標がはっきりしているところではグライダー能力が高く評価されるけれども、新しい文化の創造には飛行機能力が不可欠である。それを学校教育はむしろ抑圧してきた。旧にそれをのばそうとすれば、さまさまな困難がともなう。
思考の整理学

グライダー人間とは自分では飛び立つことが出来ないけれども、一度飛べてしまえばきれいに滑空する人間のことを例えています。著者はグライダーも場合によっては必要で、例えば花を咲かせるにも、1からでは時間がかかりすぎてしまう。だからこそ、切花のようなグライダー人間も必要あるとしています。ただ、飛行機人間が新しい文化を創っていくうえでは必要だとしています。

そして、この両方の本が指している内容こそが、人間がインターネットという新しいツールを手に入れたために、直面する教育の問題なのだと思います。

新しい文化の境目には、グライダー能力の人間ではなく、飛行機人間が必要になってきます。そして飛行機人間とはインターネットという無限の世界から、自分の進むべき道をチョイスする能力をもった人間なのだと思います。

もちろん、この話は今の教育はもちろんのこと、既にグライダー人間として教育されてきた新社会人にいえます。丁度、今日より私の会社でも新人が現場にやってきました。早く飛行機人間の素養も持てるよう、協力していきたいと思います。

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