Twitterでセレンディピティの幅を広げる
「ネットで何が楽しいのか?」改めて聞かれると結構考え込んでしまいます。実際、自分も聞かれて最初戸惑いました。
その時に話ながら考えたのがセレンディピティについて。1:1のコミュニケーションであっても、本を読んでいてもセレンディピティは起こりえるのですが、ネットはその加速力が違う感じです。
ネットはセレンディピティを促進するエンジンでもあると思う。
茂木健一 フューチャリスト宣言
ネットが加速させている要因としては個人的に2つ。
- 距離のないコミュニケーション
- 情報が残ること
距離のないコミュニケーション
ネットで行われるコミュニケーションは距離がありません。相手がNYに住んでいようが、パリに住んでいようが言語さえ共通であればコミュニケーションを行うことが出来ます。
この距離のないコミュニケーションの中で 1: n のコミュニケーションが可能になったことで、セレンディピティが起こる幅が増えているのだと思います。
情報が残ること
情報が残ることで、その情報をリアルタイムで取得しなくてもコミュニケーションが取れるようになります。1:1の話し合いによるコミュニケーションの場合、同じ時間軸を共有することでしかコミュニケーションが出来ません。
ブログなどは書き込んだそのタイミングでしかその内容を知ることが出来ないわけではありません。この辺りがデジタルの良いところで、1日後でも1ヵ月後でもその内容を知ることが出来ます。
そしてそこから新たな発想を得ることも出来るわけです。つまりコミュニケーションがリアルタイムでなくとも可能で、しかもそこに自分が立ち会う必要もないわけです。これがセレンディピティが生まれる幅を生んでいるのだと思います。
まとめ
情報を発信しなくてもネットを楽しむことは出来ます。それはそれでネットの楽しみ方の1つです。ただ、情報を発信しない場合は、情報を探すということを自分で行わなければなりません。
情報を発信し、ネットにその情報を残しておくことで不特定多数の人たちが見る可能性があります。これによってセレンディピティが起こりえる幅が広がるわけです。
Twitterも同じで、自分の状況であったり、面白く感じたことを書き出しているだけです。ただ、それがある時参照した誰かによって何かの反応がある。そこにセレンディピティの幅が生まれているんだと思います。
なんとなくお互いの状況を共有しながら、お互いのセレンディピティが起こる可能性の幅を広げているんですよね。
ということで、偶然に何か新しいものが起こった時の「バチッ」と来る感覚をより沢山得るためにも、情報を発信をしていった方が面白いんじゃないの?という結論になる話でした。